桑の實

 

 

雨あとに光るルビーか桑の實を見すべき君の帰り来まさね
(あめあとにひかるかルビーかくわのみをみすべききみよかえりきまさね)

                                       うた・志都美

 

2月に昨年秋に亡くなった友人の【偲ぶ会】をクラス会の仲間とやって、
その後、体調が優れずいたところへ東北・北関東の大震災と大津波が起り、
その上福島の原発が壊れて、今では“レベル7”と発表されるに到り、又
当該原発の近くで余震が頻繁に起っている、という目まぐるしく又胸苦しい
今年の冬と春。

亡くなった友人だけがこのブログの固定読者だっただけに、彼女への思い
を何かかたちにして綴りたいと思いつつ、ネットにテレビにとニュースを
追いかけ、胸を詰まらせたり怒ったりを繰り返しているのですが、今日は
そんな自分を少し反省して、上記の桑の実の歌と下記の2種の歌のお話を
したいと思います。

 

 

始春の初子の今日の玉ばはき手にとるからにゆらく玉の緒
(はつはるのはつねのきょうのたまぼうきてにとるからにゆらぐたまのお)

                          萬葉集 巻二十 大伴家持 作歌

 

この歌は萬葉集のなかで(と言ってもすべての中で、という意味ではあり
ません。あくまで二人でやっていた読書会のテキスト『萬葉集名歌選釈』
に掲載されている歌の中で、ということですが・・・)最も大好きな歌と
言えます。

全てが清々しくて明るくて、美しく華やかで繊細なものに満ちていて、
家持の歌の中でも一番気持ちよく輝いているような気がするのです。
その華やかな『玉箒』、その玉箒にゆかりを持つ植物が『高野ぼうき』で
あり、その『高野ぼうき』が萬葉集を学び始めた頃の私が、我家の近くで
見つけた植物でした。

ゴルフ打ちっ放し場の裏の林の中で見つけた小さな花。素朴な菊を小さく
小さくしたような、ほんのりピンクがかった白い花ですが、この植物の茎
が箒に適していて、古くから使われていたそうです。その植物が高野山に
多く自生していて、それを高野山の辺りで箒にしたのが広まったとのこと
です。

その『高野ぼうき』を見つけたあと少し調べると、家持の歌の『玉ばはき
=玉箒』が何故朝廷のお正月の宴の引き出物になったのか、というと、
遠い古代中国の皇帝の正月行事に、皇帝は鍬によって田を耕すという神事
をし、皇后は蚕部屋を箒で掃くという神事を大切なセレモニーとしていたと
いうことがわかりました。

お蚕、そうですね。桑の木なんです。皇居では、その皇后の神事のために
桑の木がちゃんと植えられているそうです。
テレビの皇室番組で、天皇皇后お二人がお庭を散歩しながら、皇后さまが
陛下に、雨後の桑の木の美しさを語られているのを聞いたときは、まさに、
わが意を得たり!と一人で小躍りしました。

桑の木は我家の近くの小高い丘にある墓地に大きな木がありました。毎年
その墓地の下の舗道に大きな濃紫の実を沢山沢山落としていました。その
落ちた黒い実を持ち返り、土に埋めると小さな芽がいっぱい出て、やがて
その殆どはナメクジに食べられてしまいましたが、幾つかの芽が生き残った
と見えて、段々と大きくなり、今ではそれなりに多くの実を付けるように
なりました。

我家のその実はルビーのように赤くなって、赤黒くなっていくのですが、
その実はまだ本当に小さくて、小鳥たちが啄ばみ忘れたものだけがようやく
完熟するのですが、小さすぎて、黒くなったらそのまま乾いていつのまにか
どこに消えたのかわからなくなってしまいます。
墓地の桑の大木は、その大きな実が大量に舗道に落ちるので、「汚い」とか
「滑る」とか「危ない」とかの理由でばっさりと短く刈られてしまいました。
勿体ないことです。

その実を食べるために、普通は喧嘩ばかりをしているカラスやヒヨドリ、
その他の小さな鳥たちも、その実を咥えながら道路を渡ったり、同じ木の枝
で夢中になって実を啄ばんでいる姿も微笑ましいものでしたが、そんなこと
はまるで顧みられることなく、バッサリとは残念なことでした。

以前、桑の小さな苗を友人にプレゼントしたのですが、今年の赤いルビーの
ような実がつくのを見ないまま、昨年急逝したのが何とも残念でなりません。
彼女の家のベランダで、今小さな桑の木はどうしているのでしょうか・・・。

 

 

かの歌のゆかりの花を見せばやと約せし道を今日ひとり行く
(かのうたのゆかりのはなをみせばやとやくせしみちをきょうひとりゆく)
                                          うた・志都美

 

 

 

|

横超断四流

横超断四流(おうちょうだんしりゅう)

 

先日、3月の歌会に出かけました。歌会当日は会場のお座敷の床の間に、
保田與重郎の書、『横超断四流』の大きなお軸が掛けられていました。
『横超断四流』、これは以前何かの本で読んだのですが、仏教の用語とかで、
<自力の計らいを捨てて他力=御仏の誓いに帰依することにより、
(階段を昇るようにではなく)一気に悟りへと達することができる>という
意味だそうです。大変感覚的に、ですが好きな言葉です。

それにしても、あの地震と津波の日から心が晴れません。いえ、それは当り前
のことで、晴れるほうがおかしいのでしょう。
はるか離れた東北の地の災害だし、何も出来ないのに悩んでみても仕方ない
ではないか、とはとても考えられません。それほどの、かつてない大きな規模
で日本の一部がガサッと掻き獲られてしまったのですから。
同胞(はらから)としては、わが身が抉られたような気持ちなのは当然ですし、
諸外国からさえもすぐに多数の励ましや支援、援助の手が差し伸べられました。
同じ人間として、看過できない痛みを共有して下さったのです。

今回の大災害を考えるとき、また、被災されてその渦中におられる方々の
心中を慮るとき、悲しみで胸がいっぱいになってしまいます。そして同時に、
様々な『なぜ?』が心に押し寄せてきます。 この度の巨大地震と大津波のよう
な情け容赦のない自然に薙倒されたあとには、どのような【言葉】が明日への
希望につなげることができるのでしょうか? 
余りの厳しい現実に、生半可な慰めや励ましなどは無論弾き飛ばされてしまいます。
様々な場面で発せられるこの『なぜ?』には、私たちの先達が、同じように
悩み苦しんだのちに得ることができた深い言葉だけが力をもつのでしょう。

 

今回、その『横超断四流』の書に加えて嬉しかったことは、信頼するサイトが、
地震直後に大切な言葉を発信してくれていたことでした。
そのサイト上で、ある思想家の講演記録を公開してくれていて、その人が旧約
聖書の『ヨブ記』について話してくれているのです。
この最も救いのない奈落へ突き落とされた人たちへのメッセージとして、又
その方々への思いをどのように考えたらよいか、またどう行動するかを悩む者
への示唆として、素晴らしくタイムリーでした。

家族も親戚もご近所も、友人も仲間も、家も仕事も財産も、故郷の風景さえも
一瞬にして目の前から消え去り、ありとあらゆるものがすべてを失い、傷つき、
生きることの意味さえ問うて来るでしょう。その問いに誰が答えることができる
のでしょうか?またどんな答えがあるのでしょうか?

けれど、人間の歴史が始まって以来、幾たびも起ったであろうこうした試練・・・、
その度に私たちの祖先は自らの希望と道をみつけ、また歩き出し、此処まで
やってきたのだと思います。

だから、如何なる時も人の心に寄り添いかつ見捨てず長い歴史を過ごしてきた
【言葉】もある筈。単なる慰めでなく、より深いところで語ってくれている筈です。
そしてまた、現在の日本の思想家たちだけでなく、古今東西の先人たちが、
今回も、心の底から勇気付ける言葉を発してくれているのだろうと思っています。

 

 

「激甚」と冠して足らぬ地震津波人間の愚かさ加はりてなほ
(「げきじん」とかんしてたらぬないつなみひとのおろかさくわわりてなお)
                                    うた・志都美

 

 

|

長い長いお休み

 

 

ひとつ得ればいくつ失ふ珠玉の数神のゲームの空怖ろしき
(ひとつうればいくつうしなうたまのかずかみのゲームのそらおそろしき)
                                                      同人誌 -平成23年新春号掲載-

 

長い間ブログをお休みしていました。1年間更新しなければ自動的に削除
されるとかで、ようやく重い腰を上げた?志都美ですが、その間に本当に
辛いことがありました。まるで、ニュージーランドのクライストチャーチ
のように、外見はどこも問題がないように見えているけれど、もう一度
大きな地震が来たらガラガラと崩れてしまうような感じでした。
だから、もう志都美曼荼羅も閉じようか、と本気で考えていたのですが、
そんな中、3月11日の『東北関東大震災』が起こり、またぞろ色んな
ことを考えずにいられなくなって、今パソコンに向っております。

 

初めの歌は、このブログにも何回となく登場している『読書会』を一緒に
している友人が昨年11月に心臓で急逝したときに詠んだ歌です。
辛かった、本当に情けなかった。『なんで?』『なんで?』『なんで?』
『なんで?』・・・が止まらないのです。
なんで彼女が、あの大切な友だちが突然逝ってしまうのか???
すでにここ4年の間毎年私は大切な友人をひとりづつ失っているのです。
皆、30年以上の近しい付き合いの友人たち。そして又。。。

この世の仕組みは、もしこの世の創造主がいるとしたら、何と言う残酷で
えげつないシステムを考え出したのだろう? 本当に考えれば考えるほど
巧妙にプログラムされた救いのない世界ではないだろうか?!!

 

けれど、今回の地震と津波の被害に遭われた数え切れない方々は、私の
数年にわたる悲しみの世界を一瞬にして背負われたのです。
死者・行方不明者○○○○人とテレビ画面や新聞などに書かれていますが、
その一人一人の悲劇とその家族や友人たちの悲しみを、果たして自分は
想像することができるのでしょうか?
その数字を数字として捉えた悲しみでなく、テレビや新聞などのメディア
というフィルターを通してでもなく、自分の想像力でイメージすることが
できるでしょうか? 何か自分が根底から試されているように思います。

 

こうした非情な現実を前にしたとき、色んなフィルターのかかった情報
だけではなく、自分の頭で受け止め、それを自らの想像力をしっかりと
働かせて判断し未来のことを考えなければいけないのでしょう。
当事者の方々は未だそのような余裕はありません。いえ、今も直後よりも
厳しい戦いを強いられている筈です。だから、幸いにも現在、若干の自由
や余裕をもっている私たちが【どんな未来ができるのか?】をしっかりと
考え、又見守っていかなければいけないのだと改めて強く思います。

 

 

暖かき部屋の円居を凍らせて突如変はりしテレビの画面
(あたたかきへやのまどいをこおらせてとつじょかわりしてれびのがめん)
                                                           -平成23年20日歌会提出歌-

 

 

 

|

あぢさゐの

あぢさゐの藍ふかまりてかたらへぬ君が悲しみはかりかねつつ
(あじさいのあいふかまりてかたらえぬ君がかなしみはかりかねつつ)

                                  歌集『ガラスの靴』より

 

 

歌集『ガラスの靴』を上梓したのは平成6年の春、それからでも17年
足らずの時間が経過しています。そして、歌集にはそれまでに作った歌が
掲載されていて、平成5年のものもあれば、昭和の最後の年に作ったものも
含まれているわけです。そして、こうして改めて上記の歌を見ると、やはり、
今から20年近く若い私がいることに気付きます。

『歳をとってから始めた歌は年齢よりも比較的若々しい』と先生が仰った
ことがありますが、その例に漏れず、私の歌も年齢よりははるかに若いと
今も思うのですが、こうして現在のものを思いながら振り返ると、
どこがどうと的確にはいえないけれど、調べも、また歌の世界も若くて、
まだまだ未熟の裏返しであるかも知れない、甘い切なさのようなものを
感じるのです。

この歌集の場合、『君』といっても恋人とは限らず、母や友人や、或いは
亡くなった父への思いだったりもすることも多いのですが、
そうしたこととは関係なく、やはり、今の自分より確実に15年以上若い
自分がこの歌の中にいる、と思います。

短歌は、他のジャンルと違って私的な世界を表現するのに非常に適している
ようで、自分にしかわからない“否(ノン)”とか“諾(ウィ)”等の
微妙な世界さえも、何らかの言葉や調べにして悦に入ることができるのです。

けれど、例えば小説などは、作品の内容すべてが作者の実体験と思う人は極々
少なく、逆に、限りなくフィクションに近い内容だとしても、
それは作者の実体験や思いであり、その心情の吐露として受け取られるのが
短歌というものの特色でもあるようです。

そのことを大先輩に尋ねたことがありますが、その先輩の答えは、
『・・・歌には調べがあるからじゃないか・・・』というものでした。
尊敬する先輩の言です。まだストンと胸に落ちているわけではないのですが、
ゆっくりじっくりその言葉の意味を探っていきたいと思っています。

 

 

|

ゆりまつり 2

はね蘰今する妹をうら若みいざ率川の音の清けさ
(はねかずらいまするいもをうらわかみいざいざかわのおとのさやけさ)

                                  -萬葉集 第七巻 -

 

昨日、行ってまいりました。率川神社の『三枝祭=ゆりまつり』。
毎年行きたい行きたいと思いつつ、何やかやに取り紛れて、前回から、
7~8年経ってしまったでしょうか。。。

今年は本宮当日は行けないので、いつも読書会をしている友を誘って
前日=16日に出かけることにしました。前日は百合祭のメインの捧げ物、
笹百合が、大神(三輪)神社から届く日です。

本宮に行けない代わりに、自分も近くまで笹百合を迎えに行きたいと、
⇒JR奈良駅⇒JR桜井駅⇒へ出かけました。前日の大雨で当のまほろば線
は電車の遅延が報告されて、どうなることかと心配したのですが、
10:37の桜井発奈良行きの電車は時間通りに発車、笹百合の籠をもった
行列も無事JR三輪駅から乗り込んで来ました。

笹百合の籠を大切に護りつつ電車に乗り込んで来られた「大神神社豊年講」の
方々は、三輪山の笹百合育成に尽力する篤農家の皆さんで、平成19年=2007
より始まった「ささゆり奉献神事」のために、毎年例祭の前日に大切に運んで
来られるのだそうです。

 

実は、約7年前にこの三枝祭を見物に出かけた日は、6月半ばなので、大変
乾いた天候の頃でした。そのせいか、境内は街の中心というロケーションの
こともあり、緑も少なく、狭い境内がカラカラに乾いていて、笹百合の殆どは
造花で、その笹百合の蘰を着けて踊る巫女さんも大変な老女、何だか草臥れて
その後暫くはお祭へ出かけることもしませんでした。

そんな不遜な私でしたが、久しぶりに訪れたこの三枝祭、このお祭を大切に
思う人々の力で、徐々に『ゆりまつり』らしい雰囲気を取り戻しつつあることに
大変感激しました。

率川神社は、奈良市の中心街にあって、子守神社としも有名ですが、
場処柄、かなり離れた大神神社の摂末社であるとは気付きにくいかも知れません。
単なる観光でこの神社を通り過ぎていくと、その由来が、大変奥深いもの
であることに気付くのは難しいでしょう。

けれど、笹百合を運ぶ人たちの表情は、皆、晴れやかで良いお顔をされていて、
何だかこちらも嬉しくなってきました。そして、こうした人々の努力に
支えられて、私たちにとっても非常に大切なお祭が身近に復活してくるのは、
何よりも有難いこと、心から感謝申し上げたいと思います。

 

・・・・・以下は、このブログを始めた頃にUPしていた『百合まつり』の
文章です。バックナンバーの2008年6月17日掲載

 

<ゆりまつり>

葦原の  醜けき小屋に 菅疊 彌清敷きて 朕が二人寝し
(あしはらのしこけきおやにすがたたみいやさかしきてわがふたりねし) 

                     -古事記 神武天皇御歌-

 

 

率川神社(子守明神)由来 
 御例祭 六月十七日午前十時 三枝祭(ゆりまつり)
 御祭神 玉 櫛 姫 命  右殿(御母神)
       媛(ひめ)蹈鞴(たたら)五十鈴姫命 中央(御子神)
       狭 井 大 神  左殿(御父神)

 

 『当神社は 推古天皇元年(五九三年)に大神君白堤がお祀り申上げた、
 奈良市に於ける最古の神社であります。

 三枝祭とは白酒、黒酒の酒樽に本社三輪山でとれた笹百合の花(古名
 :さいくさ)を飾ってお祭りするところから起こった名前。
 文武天皇 大宝年間(701年)から伝わる古式の神事で お供えの百合
 の花は疫病除けとして参拝者きそって乞い受けるものであります。
 尚当社は古来(子守明神さん)安産・育児の神として篤い信仰をあつめて
 おります。
                   「率川神社境内由来書より抜粋」』

 

 《ゆりまつり》のお宮への道は呆気ないほど簡単でした。JR奈良駅より
三条通を東へ5分観光センターを右折してすぐ、奈良市街地の車の往来の
激しい通りに面していました。 ちょっと意外でしたがそのことが却って古く
から土地の人々の篤い信仰に護られてきたお社であるということがわか
ります。

 境内由来書(上掲)にあるように親子神が三体祀られていて、小さな家族
写真を見るような懐かしさを覚えますが この率川神社の三枝祭(別名ゆり
まつり)をもう少し詳しく表すと「率川坐大神御子神社=いさかわにいます
おおみわのみこの神社の三枝祭」となり、この神社が三輪の大神神社の
末社であることから考えてすでに神話と古代史の混沌とした世界の入口
に立っていることがわかります。

媛蹈鞴五十鈴姫は別名=比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけ
よりひめ)といわれ神武天皇の皇后さまでもありました。
頭書の御歌は神武天皇が橿原宮において初代天皇として即位されたとき
に詠われた喜びの歌であるといい「貴女と逢ったあの葦の茂る川辺のごつ
ごつした建て方の家で清々しい菅の畳を幾重にも重ねて貴女と私は共寝
をしたのでしたね」という程の意味でしょうか。

しかしそれが古事記にも残るほどの重要な歌であり、初代天皇である神武
天皇がそれほどに気遣いをしたわけは多分妻五十鈴姫の父・舅「狭井大神」
即ち大和國一の宮「大神神社」の祭神である「大物主」にあったのでしょう。

その「大物主」はスケールの大きい男性であったと見えて古今に様々の恋
のエピソードもあり、また無類のお酒好きの方であったらしく、万葉集に
おいても「三輪」の枕詞は「味酒(うまさけ)」であり、今でもお酒の神様
として全国の酒造メーカーから樽酒などのお供えが絶えないそうです。

その縁として三枝祭りの神事も笹百合で飾られた樽酒(罇(そん)と呼ばれる
樽の上には黒酒=濁酒:・缶(ほとぎ)と呼ばれる三本足の台の上には白酒
=清酒)をお供えするのですが、その笹百合も昨今は造花や三輪山のバイオ
の笹百合も用いられるとのこと、少々淋しいお話です。

三輪山は静かなたたずまいの大神神社のご神体です。その山上高原地帯
には太古八千・九千年前の遺品が埋まっているとも言われているそうですが、
「大物主」とその一族が住んでいたのがその三輪山麓「狭井川」のほとりで
あり、河原には「佐偉=サイ(百合の古名)」が沢山咲いていたといいます。

つまり百合の咲き乱れる川の辺に住む偉大な勢力者「大物主」の百合のよう
に美しいお姫さまがこのお祭りの真のヒロインなのです。
神武天皇は美しい五十鈴姫との婚姻により得たその古く強大な一族の力を
背景に大和國をその支配下に治めていったのではないでしょうか。

そしてその《サイ》はサキと音が似通っていることから、いつしか他の三枝
(サイクサ=先が三つに分かれる草)の仲間として呼ばれるようになり、
サイクサ又は「サキクサ」は「幸(さき)く」を導く語として使われている
うちに枕詞として重要なことばとなったと考えられます。

 

・・・・・以上引用終り。

 

 

 

|

道の長道を繰り畳み

 

君が行く道の長道を繰り畳み焼き滅ぼさむ天の火もがも
(きみがゆくみちのながてをくりたたみやきほろぼさむあめの火もがも)

                                                    -萬葉集 第十五巻 狭野茅上娘子 作歌-

君我由久 道乃奈我氐乎 久里多多禰 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母
(きみがゆくみちのながてをくりたたねやきほろぼさむあめのひもがも)

 

 

一昨日、久しぶりに友人との読書会でした。ほぼ2年近くも続けて
ようやく十五の巻、この中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子
(さぬのちがみのをとめ)との相聞歌のところまでやって来ました。
細々と、本当に細々としかやってこなかったなあ、と鈍い歩みに少し苦い
後悔が混じった感慨をおぼえているところです。

 

季節も今冬からの天候不順で、我が体調もややこしい状態がつづき、
春らしい春も、あったか無かったかのように過ぎて、ようやく6月も初旬、
日差しも初夏にふさわしい強さを見せて来たようで、何となく、
心も身体も元気を取り戻してきたように思います。

そして、二人の読書会も、ほんの少し、それぞれの変化の兆しに重ねて、
僅かばかり視野を広げ、萬葉集の所縁の場処をたずねたり、
保田與重郎文庫の他の著作も参考書として取り入れて、楽しみを増やして
いこうか、という話をしています。

 

上記の歌は、萬葉集の中でも大変有名な歌であり、テキストの
『萬葉集名歌選釈』の中では『・・・激しい熱情といふ以上に神話の
発想の域にいたつた傑作である。・・・』として絶賛されています。

ただ、私はこの歌の<道の長道を繰り畳み>を繰り返し読んでいると、
古事記のなかで、黄泉の国から逃れるイザナキを、恐ろしい形相の
イザナミが追いかけてくる場面を思い出してしまうのは何故でしょうか?
それはきっと、人の【思い】が持っているエネルギーの強さが、
現代におけるそれとは比較できないほどのもので、それがこの歌と
古事記の物語とが共通しているからかもしれません。

それゆえ、この歌の発想の素晴らしさと、エネルギーの集中度は
読む者の心を鷲掴みにするようです。

 

ちなみに、テキストでは<道の長道を繰り畳み>となっていますが、
別のテキストでは<道乃奈我氐乎 久里多多禰(ね)>となっていて、私の
個人的好みでは、後者の<くりたたね>のほうが良いように思っています。

 

 

|

黄色い薔薇

わたしを探さないで五月黄色いバラとゆくから音もなくゆくから
(わたしをさがさないでごがつ きいろいばらとゆくからおともなくゆくから)

                                       歌集『ガラスの靴』より

 

五月の花園は薔薇の香りであふれている。色とりどりの豪華な薔薇が惜しげもなく
その美しさをひらき、艶やかに競い合っている。 人々はその薔薇の小道を辿りながら、
少ない語彙を取り集めて賛嘆の声を上げる。
その人々に紛れて私は、今年もあの薔薇に逢いにゆく。
目指すはその太陽のような明るい、曇りのない、華やかで力強い黄色の薔薇

 

かつて、私の恋人は黄色い薔薇。五月の太陽のように私を輝かせ、
腕に抱えきれないほどの希望を抱かせてくれた。そう、あなたと共にゆくのだ! 
何者も恐れず、何物にもひるまず、風が楽のように響く空を共に翔ることを確信していた。
一点の曇りもなく、飛び立つことを信じていた。
そう、あれから幾つの五月を迎え、見送っただろうか。
それでも決して疑うこともなく確信は揺らがなかった。

 

そして、今こうして過ぎ去った夢の襤褸をまとい、
風が嵐のように吹く世界に佇んでいることに気付いた今でも、
あの五月の、耳元にささやいた黄色い薔薇の鮮やかな言葉は、
一筋の光となって来るべき五月へ私を誘おうとしている。

 

         ・・・・・    ・・・・・    

パトリシア・コーンウェル著、女検視官:Dr.ケイ・スカーペッタが主人公の「検視官」シリーズ
の一冊【スカーペッタ】から

 

===引用1(上巻130頁)===
・・・『黄色を選んだのは神経のこまやかさを示してるから。
昔ながらの真っ赤な薔薇はあえて選ばなかった。すてきよね。・・・テリーの恋人ってだけじゃなく、
友だちでもあるんだって宣言してるみたいな感じでね。・・・黄色は力強いわ。黄色い薔薇を見ると、
心が太陽の光りでいっぱいになる』

 

===引用2(下巻370頁)===
・・・「黄色ね」  ベンは枯れた薔薇には露ほどの
関心も示していない。女の目から見ると、黄色であることが重要な意味を持つことも理解していない。
バカルディ(=女警官)の安心したいという欲求は、薔薇なら赤がいいと即答したが直感は
冷静に考えてから答えた。黄色い薔薇をくれるような男はめったにいない。
だが、そのめったにいない男こそ理想の相手で、巡り合うような幸運に恵まれたら、
どんなことをしてでも自分のものにするべきだ。(後略)

 

 

 

|

天乙女

 

天乙女天にいつはりなきといふ花のさかりのけふの篠山
(あまおとめてんにいつわりなきとまう花のさかりのきょうのささやま)

                                    -歌集『ガラスの靴』-

 

春夏秋冬の四季がグラデーションのように変化していた数年前までに比して
去年から今年はまるで四季の移ろいがモザイク模様のようになってしまい、
どこからが冬でどこからが春か、あっちこっちに飛んでしまっているので、
人間も含め、色々な生物を混乱に陥れています。

その、とんでもない時期の降雪や強風、昨日は初夏で、今日は冬。
とても『寒の戻り』の言葉では解決できそうもない、そんな天候不順も、
じゃ、今までなかったのか?観測史上はじめてか?と思うとそうでもなくて、
かなりの昔にも何度もそんな現象があったと天気予報では言っています。
そうとしたら、その当時の人々はさぞ恐れ戦き、混乱したことでしょうね。

 

それにしても、私たちは長い歴史の刷込みで四季の移ろいは必ず色彩の
グラデーションのように緩やかに穏やかに変化していたように思っていますし、
実際、そうであればこそ、この縦に長い列島に居住する日本人としては、
心安らかに変化を受け止め暮らしていくことができていたのだと思います。

けれど、段々とこうしたモザイクタイプの天候が増えてきて、それがまた、
何度もいくつかのさざ波を呼び、またそれが大波となってか繰り返されて・・・
そして、人間の感性の届かないほどの時間が積み重なったころに、やがて
大きな変化がやってきて、そしてまたそうした変化の幾つかが重なって・・・
と、いつしか後世の人たちが現在を顧みすることも困難なほどの変化を
もたらしていくのでしょう。

只、昔と現代と違うことは、その遠い未来には、今始まったばかりの大変な
デジタル情報が蓄積していて、今の私たちが想像できないほどの遠い未来でも、
この小さな『現在』が顧みられているのかもしれませんね。

 

でも、そんなややこしいことを抜きにして、現在の希少な美しさと優しさに
満ちた四季の変化の中で育まれてきたた日本人の暮らしと、
その感性の細やかさを心から楽しみつつ、何とかこの気候変動と暮らしの
折り合いをつけて、決して希望を失わず暮らしていけたら、と思います。

そのためにも、自分にわからないことに早急な答えを用意するのでなく、
疑問は疑問としてゆっくりと咀嚼しつつ、考えていかなければいけないと
自戒の念をこめて、思っています。

 

 

去年の秋熟れてはじけし栗の実の菓子をあがなふ春の篠山
(こぞのあきうれてはじけしくりのみのかしをあがなうはるのささやま)

                                  -歌集『ガラスの靴』-

 

 

 

|

三諸者(三輪山は)

 

 

三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 
浦妙 山曾 泣児守山

三諸は人の守る山、麓邊は、馬酔木花開き、末べは、椿花さく。
うら美し山ぞ、泣く児守る山。

みもろはひとのもるやま、もとべは、あしびはなさき、すえべは、
つばきはなさく。うらぐわしやまぞ、なくこもるやま。

                              萬葉集 第十三巻 

 

久々のブログです。前回はと言えば、何と1月18日で止まっていました。
パソコンの突然のダウン。古くて、保障期間はとうに過ぎているし、
新規購入すべきか修理すべきか、迷っているうちに日は経つばかり、
結局TOSHIBAへ問い合わせて修理の結論がでるまでまたまた逡巡。
家族の助けもあって、ようやく修理ができてきました。

さあ、使えるぞ!となると今度は課題が友人との読書会で出てきてしまい、
これがまた重たい、中々立ち上がらないパソコンのように、フリーズ
しそうになって、とうとう1週間が過ぎました。
でも、この1週間で我家の『軒端の梅』は綻びはじめから“頻りに散る”
ところまでになってしまいました。
今年の花付きは殊のほかよかったせいか、毎日メジロがやってきて、
愛らしい姿を眺める幸福も味わうことができ、とても幸せなことでした。

 

さて、上記の歌は三輪山を褒めた歌で、この三諸山=三輪山は美しい山だよ、
(神のために)人がお守りしている美しい山だよ。ほら、麓には馬酔木の花が
咲き乱れ、頂きの辺りにはあの鮮やかな紅い椿が満開だ。
何という美しい山だろう。泣きやまない幼い子供でさえ、この山に向えば
泣き止むというよ、との意。

そこで、【浦妙=うらぐわし=うら美し】について、テキストである
<萬葉集名歌選釈>には丁寧な解説が書かれているのですが、そこに、
大変惹かれる文章があるので、ぜひ引用して紹介したいと思います。

 

・・・「うらぐわし=うら美し」の「うら」は心のこと、うら悲し、
うら戀し、と同じことばのつかひ方である。心の眞底からしみじみ思はれる
やうな感情を現はす言葉である。・・・とあり、そして次に、少々唐突かと
思われるように強く下記を続けてあるのです。

 

・・・うはべだけの感情表現を避けた古の人たちは、まことの感情のさらに
深いところに、感情の奥ゆきは無限にあることを知り、さうした歌をつく
ってゐる。かういう點で、萬葉集のうたには佛説の影響はない。・・・

上記の3行は、なかなか意味深長であると思うのですが、如何でしょうか?

 

『説明・理屈・言い訳』は歌を作るときに避けなければいけない、と度々
先生方から教えられてきているのですが、そのことを言葉を替えて述べられて
いるような気がします。
萬葉集に納められている歌々が作られたころ、わが国には仏教はまだ入って
きていないか、或いはあったとしても、信仰というより新しい学問のような
ものだったのではないでしょうか。

それ以前の日本人(といっても何処からを起点にとるのかはわかりませんが)
の心のあり方とはどうだったのか、その答えの一つがここに述べられている、
そんな気がします。それが、当たっているのか的外れなのかはわかりませんが、
<まことの感情のさらに深いところに、感情の奥ゆきは無限にあることを知り>
と言われると何となくそう思われるのです。

【歌は神への捧げもの】と言われたりもしますが、それに加えて、
<自然>と書いて<かんながら>つまり<神ながら>と読むということを
重ねて思うと、自らの生の中で、自己の運命に向き合わねばならないとき、
自然に向うように、そのあるがままを受け入れ、そこに心と感性を由らせて、
祈るがごとく言葉を発することしかないのではないか、と自分なりに考えて
みたのです。

ある方から、萬葉集の最後に歌われている歌の解釈について、大変難しい
問いかけを頂き、私などが何をどんな風にお答えしてよいものやら、随分
悩んだのです。 けれど、この歌の解釈がこのように示されていることもあり、
思い切ってお答えするとすれば、やはり、『いやしけよごと』は『彌重吉事』
でよいのではないかということになるでしょうか。

 

 

 

|

なめらかに

 

 

なめらかに堕ちてゆかむか白き鬼群れてはひくき歌を唄ひぬ
(なめらかにおちてゆかんかしろき鬼むれてはひくきうたをうたいぬ)

                                                                           -同人誌 合同歌集-

 

 

それにしても、月日の経つのは余りに早く、今年も1月の半ばを過ぎました。
そして、一昨日はあの阪神淡路大震災から15年ということで、
大きなセレモニーも挙行されていました。ところが、その数日前、
この12日(日本時間13日午前7時前)には、とんでもない大きな地震が
カリブ海の最貧国ハイチで起きてしまいました。
ハイチは人口約900万人で、すでに国連は30万人が家を失っていると
発表し、18日(日本)のニュースではすでに埋葬者7万人、刻々治安が
悪化しているとも報じています。

 

ハイチは、アメリカ大陸ではじめての黒人による共和国となり、
かつては西半球で最も豊かな植民地といわれていたが、現在では西半球で
最も貧しい国になっているとか。
度々の内乱による政情不安がこの結果を招いているのだと言います。

この地球上には多種多様の価値観がしのぎを削り、我こそは真実なり、
いや我々こそが最も価値のある存在だと、争っています。
そして、日本では今、政権交代を迎えて既得権益を有する者たちが、
その優位な立場を失わんとすることに恐怖を感じて、とげとげしく、最後の?
足掻きを繰り広げています。
政治の貧困が、その国民の生活をよくも悪くもするのだということを
ここ数日、繰り返し考えざるをえない日々となっているのです。

今、テレビや新聞の報道によって見える風景は、今までののんびりと
貪っていた『我が世の春』の者たちが、国の在り方が変わっていくなかで、
つい15年前の地震による惨劇やまだまだこれから起るであろう大地震や
災害の危険性を感じ、想像するナイーブさを失ったまま、
自分たちが手にしている既得権を護るべく必死の抵抗をしているように
思えてならないのです。

ハイチの地震だけでなく、過去を顧みれば、数々の内外の災害の被害は、
その国情に合わせて国民やその国土に大きな被害をもたらしました。
とんでもない数の人間の、平凡な暮らしや生命を奪い、今もまた
簒奪しつづけています。

他者の痛みに鈍感であったり、他者の思いを想像することができない者たちが
たまたま手に入れた既得権にしがみつくことは赦しがたいことだと思います。
もう政治などの難しいこととはオサラバ!と思っていましたが、
今日ばかりは、身体が熱くなるほどの怒りをもってこのモノローグを記して
います。

思えば、歌集『ガラスの靴』は、震災の前年に上梓したのですが、
昔の仲間がそれを祝ってくれた日の翌日が、その震災の日でした。
『このピンクの歌集が体育館での避難生活に大きな慰謝を与えてくれた』と
手紙をくれた友人がいたことも今更ながらに思い返しています。

 

 

 

|

とろとろと

 

 

とろとろと微睡みをれば尾鰭から凍りはじむる緋色の金魚
(とろとろとまどろみおればおびれからこおりはじむるひいろのきんぎょ)

                                  -同人誌 合同歌集-

 

寒いですね。半端じゃなく寒い。去年の“今冬の長期予報”によれば、
暖冬で、気温は平年並みか高め、となっていたようにおもうけれど、
なんと!こんな寒さは久しぶり、心も身体も強張ったままです。

街に出かけても、人は沢山いるのですが、余り買い物袋を見ないような
気がするのです。暖冬予報によって、はやばやと12月初めから
冬物衣料もバーゲンセールが始まったりしたのですが、
なかなか安売りをしても消費者の購買欲は刺激されなかったようです。

やっぱり、お金を使わないと景気はよくならないみたいですね。
でも、先行き不安ではお財布の紐はグッと引き絞られたまま。
到底、余分なものへ支出することはできません。
折角、政権交代もしたのに、新聞もテレビも悲観的な記事ばかりが満載。
少しでも読者に希望を抱かせてあげようというサービス精神はないのかな?

 

ああ~、湯たんぽ抱いてお布団引き被って冬籠りしているのが、
極楽ゴクラク・・・。そんな気持ちになってしまいますね。

 

 

 

|

命あらば

 

 

 

命あらば逢ふこともあらむわがゆゑにはたな思ひそ命だに經ば
(いのちあらばあうこともあらむわがゆえにはたなおもいそいのちだにへば)

                          萬葉集 第十五巻 狭野茅上娘子 作歌

 

友人との読書会は12月に巻第十三で終えましたが、今年は出来るだけ
速く終りまで通して読んでいきたいと思っていますので、テキストの
『保田與重郎著萬葉集名歌選釋』をこの休みに予習復習をしていました。
今まで以上に素敵な歌満載なので、いよいよ楽しくなってきています。

 

この『保田與重郎著萬葉集名歌選釋』の解説によると、この十五の巻は、
遣新羅使関係の歌と、この狭野茅上娘子(さぬのちがみのおとめ)
と中臣宅守(なかとみのやかもり)の贈答歌63首が掲載されているそうです。

この歌は、中臣宅守と狭野茅上娘子との恋愛は宅守の重婚が問題となって、
宅守が勅命により越前国に流されることになったときに宅守が娘子に送った
歌への返歌とされています。

【重婚】というけれど、この時代における【重婚】がなぜ遠流の敕命が
くだるほどの罪になったのか、まったく理解できないけれど、
当時の人の寿命の短さや交通の困難さ、再会の可能性の稀少さなどの事情は
想像するだに難しいと思うのです。
そうした背景の中で、この時の二人の心情はどんなものだったのでしょうか。
きっと現代の私たちには殆ど理解不能の心情だと思います。けれども、
そうした事情を抜きにしたとしても、この歌の切実さと美事な心構えが
生半の言葉を失わせ、読む者の魂をはげしく揺さぶるのでしょう。

『元気でいてくださいね。きっとまた会えますよ。命あってのモノダネよ』
などと軽々しく言ってしまう私たち。そんな現代に生きているから、
言葉も生命も悲しくなるほど軽いのかもしれませんね。

このときの中臣宅守の贈った歌は、また、この娘子の激しい戀をしっかと
受け止めた男性にふさわしい骨太で真摯な心のあふれる歌でした。

 

天地の神なきものにあらばこそ吾が思ふ妹に逢はず死にせめ
(あめつちのかみなきものにあらばこそあがもういもにあわずしにせめ)

                            萬葉集 第十五巻 中臣宅守 作歌

 

天神地祇(あまつかみ・くにつかみ)がいらっしゃらないならば、
貴女に逢えずに死ぬということもあるでしょうが、天地の神が必ずおいでに
なるのだから、逢わないで死ぬということは決してありません。
そう言って中臣宅守は娘子と別れを告げたということです。

 

 

 

|

ひとひらの

 

 

 

ひとひらの萌黄の紙に明日をこめ鶴折りたれば飛ぶかもしれず
(ひとひらのもえぎのかみにあすをこめつるおりたればとぶかもしれず)

                                 -歌集『ガラスの靴』-

 

アメリカでは初の黒人系大統領が選ばれ、新興国の力がいやが上にも増し、
日本においても、長かった自民党政権から民主党政権への交代が起った
この2009年、それを後の世から見たとき、いったい、
どんな年であったとの評価が下されるのでしょうか?

社会の幸福と個人の幸福とは必ずしも一致するものではないにしても、
昨年末から今年にかけては、その両方の『幸福』というものが、
やはり大きく重なっていると強く感じたように思います。

社会の経済が悪くなっていけば、様々の箇所で綻びが現れ、それが単に
個人のレベルでの、所謂“自己責任”の結果の『不幸』を招くのではなく、
それらを包含する社会システムの不備と破綻が、個々人の『幸福』を
大きく左右するのだと、身をもって感じた年だったように思います。

個人的なレベルで振り返っても、例えばある終りがあり、又終りの初めが
始まったり、と激しく揺さぶられた時でしたが、そうしたことを抱えながら、
しかし、新しい時間に向おうとするとき、選んだのはやはりこの歌でした。

今、私たちの上にいかなる難題が山積していようと、近しい人にも遠い人にも、
すべての人の明日へと、新しい光りが力強く差し込むことを心から念じて
2009年最後の、そして明日からの2010年のブログの初めといたします。

 

 

 

|

君がため

 

 

 

君がためもうすこしだけ目覚めてむストーヴの火の赤の羨しさ
(きみがためもうすこしだけめざめてむストーブのひのあかのともしさ)

                                                                            -歌集『ガラスの靴』-

 

 

 

|

打ち明けてみむ

 

 

母様へ「ないしよ ないしよよ あのねのね」悲しき恋を打ち明けてみむ
(かあさまへ「ないしょ・ないしょよ あのねの」かなしきこいをうちあけてみん)

                                                                                        -花影 12巻4号-

 

幼い頃、母はよく子守唄や童謡を唄ってくれた。よく透る華やかな声だった。
色々な唄を聞かせてくれたけれど、「ないしょ・ないしょ」で始まるこの唄は、
中でも強く記憶に残っている。その理由は、
本当に単純で可愛らしい光景を切り取っているからでもあるだろうが、
内緒話を「ね、かあちゃん」と坊やが呼びかけるという
平和で優しいシーンが、胸にひびくからだと思う。

幼いころは何でも母親には話していたのに、成長すれば、
親にはとても素直に打ち明けたりできなくなるのが普通、だと思う。
様々の悩みや思いが心に溢れて、ふっとあの日のように
『ね、かあちゃん』と話してしまいたい気持ちになることもある。
でも、それができない。子供を卒業する頃になるとそうは出来ない。
親だからこそ、『打ち明けられない』と思うようになるのだ。

親は、一生懸命子供を守り育てて、その愛情が深ければ深いほど、
子供には何も辛いことや悲しいことは経験させていない筈、と思っている。
けれど、そうした親にとっては大変悲しいことだけれど、
子にとっては、自分が自分の世界の主人公であるために、何とか
持ちこたえなければいけない、心の成長の証しでもあるのだと思う。

 

この歌には、そんな悲しみを抱えた作者が、幼いころの記憶を辿りながら、
ふと口ずさんだわらべ唄と、優しい母の思い出に、
少しづつ癒されていくような、そんな物語りがこめられているようです。

 

 

 

|

彌重吉事(いやしけよごと)

 

 

 

新たしき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事
(あらたしきとしのはじめのはつはるのきょうふる雪のいやしけよごと)

                                                         萬葉集 第二十巻 大伴家持 作歌
※古くは『新(アラタ)』、
     『惜(アタラ)』…保田與重郎著『萬葉集名歌選釋』より

 

 

今年の始めのこのブログにもこの歌を書いていますが、
初春の歌として、二番目に大好きな歌です。

自分で作る歌は、不平や不満、嘆きや悲しみなどの歌が大半ですが、
好きな歌というのは意外とこのように、マイナーな感情のない、
温かで穏やかで美しく、何か言っているようで、実は特別な何かがあるのでもなく、
ほんわかと優しくて明るい気分に満ちている歌、それも、
軽やかなリズムを感じ取れるようなものが特に好きなのです。

短歌の先生は、歌に<理屈・説明・言い訳>を入れてはいけません、
と仰います。先師は、歌は『神に捧げるもの』だと仰ったそうです。

西洋においても、賛美歌や古典音楽は殆どが『神への捧げもの』ですが、
先師の仰っていることは、難しくてようくは理解できたとは思えません。
けれど、実際に歌を作っていると、
先生の仰る<理屈・説明・言い訳>のことは、しばしば実感することがあります。
そうした時に、そのような言葉を削除し、変更するということの中で、
自分の考え方や行動などを反省する機会をもてたことは何度もありました。

30年前に父が亡くなってから、長い間唄を忘れたカナリアだった自分が、
ほんの偶然のことから<短歌>に出会い、作歌によって
新しい発見や喜びや、また反省や前向きな思考を続けてこられたのは、
こうした先生や先師、先輩方の<ことば>の賜物だったと思います。

歳を重ねてゆくにしたがい、この世の仕組みや生き物の運命の過酷さ、
理不尽さをも見渡せる場処に出てきてしまいました。だからと言って、
決して、夢も希望も、喜びや共感などの幸せなことを忘れたのでもなく、
又、失ったわけでもないのですが、
こうして全てが凍りつくような厳しい寒波のなかにいると、
ただただ心を明るく透明にして、来る年の
『彌重吉事(いやしけよごと)』を祈りたい気持ちになってきます。

 

 

 

|

赤い糸

 

 

 

赤き絲解けて褪めける糸きれを曳きて越えゆくこの道遠し
(あかきいととけてさめけるいときれをひきてこえゆくこのみちとおし)

                                   -歌集『ガラスの靴』-

 

 

『運命のひととは見えない赤い糸で結ばれている』
そんなことばを未だ若い頃に聞いたことがある。
『あんまり実感がないな』と思っていたものだった。

それから、幾人かの人と出会い、いくつかの恋をした。そして
今はそれらも遠い思い出となってしまった。
多分、その中にはこの指に残る見えない赤い絲でつながっていたひとも
あったに違いない。

けれど、多分、
その艶やかに輝いていた美しい絲も、自分の荒っぽさ、傲慢さ、そして
弱さが邪険に曳き廻したおかげで、いつしかその輝きを失い、今では
私の小指に引っ掛かっている、見えない襤褸のようになってしまった。

私は、その見えない絲が磨り減っていくことを知らず、時間が自分を
追い越していくことにも気が付かなかったのだ。

 

 

 

|

鳴滝の

 

 

 

しらしらと侘助おちてしぐれする鳴滝の径坂となりゆく
(しらしらとわびすけおちてしぐれするなるたきのみち坂となりゆく)

                                   -同人誌掲載-

 

 

 

|

文楽『心中天の網島』

 

 

 

現し世のすべてと訣れ道行きを共に行きます君の羨しも
(うつしよのすべてとわかれみちゆきをともにゆきます君のともしも)

                                                                               -同人誌掲載-

 

 

行ってきました、文楽『心中天網島』。大阪錦秋公演最終日です。
ガラガラで当日券は楽勝楽勝、と勝手に決め込んで、
家族旅行が中止になったので、23日の最終日の第2部を目当てに
出かけたのでした。

ところが、文楽劇場の中に入ると多数のひとがウロウロ、丁度、
第1部が終了したからだろうな、と暢気に窓口で友の会カードを出したら
『はい、これが最後の席ですヨ』と言われ、仰天してしまいました。

さすが錦秋文楽の最終日、ここ2年近くは色んなことがあって、
文楽へ出かけることがパッタリ止まっていたので、全く以って予想外、
こちらの感覚が止まってしまっていたのでした。
だから、最後の一枚と聞いてビックリしたと同時に、ああ良かった!と
安堵の吐息が出てしまいました。

けれど流石錦秋文楽の千秋楽、演し物も近松の世話物最高傑作とも
言われる『心中天の網島』、まして大人気の人間国宝住太夫や蓑助が演じる
舞台なので、会期中もきっと賑わっていたのだと思います(いえ、思いたいですネ)。

 

さて、第1幕は『北新地河庄の段』、大阪北新地の茶屋『河庄(かわしょう)』が
舞台の“切”を住太夫が語り始めると、
人形を操る師匠たちの素晴らしさと相俟って、もうすでに私の目は
うるうるとなり始めました。

19歳の薄幸の遊女小春、その恋の深さとそれゆえの絶望。
28歳のそろそろ分別も出てきておかしくない筈なのに愛欲の淵に溺れて、
身動きの取れない(身勝手な!)男の紙屋治兵衛。
その情けなくて出来の悪い弟が可愛くて仕方がない、男気あふれる
兄の孫右衛門。その三者がまさにそこに生きて、悩んで嘆いているように
見えるのです。そして、
人間の生身の肉体でないがゆえに、それぞれの登場人物のかかえる悩みや
問題が、より切実に純化されて胸に迫ってきました。

 

そして第2幕、場所は治兵衛が営む天満の紙屋の店舗兼居宅の紙を商う店
『紙治(かみじ)』の、店が見通せる部屋。
そこで治兵衛は、昼間から布団の中でうたた寝をしています。
うたた寝をしながら、先にキッパリ思い切った筈の遊女小春を思って
未練と後悔、そんな自分の情けなさへの自責の念もあってシクシク泣いています。

今回は、私(たち)の大好きな<蓑助さん>は小春を遣われました。
最後の段『道行き名残りの橋づくし』で大変美しい綺麗な道行きを
演じられたのですが、個人的感想としては、<蓑助さん>には
治兵衛の女房『おさん』を演じて欲しかったな、というのが正直な感想です。
以前に、その配役で大感激したことがあった記憶があるのです。

おさんは、実は、夫の治兵衛が入れあげている遊女小春へ、
治兵衛が大切と思うならば、どうぞ家庭へ返して欲しいと、
真心溢れる手紙を書き、その思いに応えて治兵衛を思い切ろうと
小春は決心して治兵衛と別れたのです。

 

第1幕では、その治兵衛の所業に心を痛めて何とかを諌めようと、
治兵衛の兄孫右衛門は、小春に直談判にきて、たかが遊女のこと、
別れるように説得できると思っていたのが、偶々おさんが書いた手紙を
見つけ、その手紙によっておさんへ義理立てをした小春の心の真実を
知ることになったのです。

その小春の健気さに引き比べ、治兵衛は、未練たらたらで、
小春の心変わりをなじり、殴る蹴るをし、小春をなお深い悲しみに
突き落としたのでしたが、そんなある日、治兵衛とおさんは、偶然、
小春の近況を耳にし、おさんは自分との約束を思い合わせ、
『小春さんは死ぬつもり』だと直感するのです。

一人の男を挟んで、立場の違いを超えて女性二人の情(こころ)が、
通い合うことになってしまいました。
そして相手を思いやればやるほど自分の思いを殺さなければならない、
そのジレンマを越えて、相手を救わなければ!と決心したとき、
容赦ない現実が、二人の女性の思いを引き裂いてしまうのでした。

第3幕はいよいよなす術がなくなった治兵衛と小春が心中の決心をし、
決行に向けて踏み出す、お茶屋が舞台の『大和屋の段』。
最後にすれ違う、治兵衛とその兄孫右衛門の兄弟愛も涙を誘う場面です。

第4幕の『道行き橋づくし』は中堅若手の太夫連がずらり並んでの舞台。
人形も、勘十郎の治兵衛と蓑助の小春、哀れで美しい心中場面です。
わけても小春の衣装は黒。そこに帯揚げと“しごき”の赤が鮮烈です。
19歳の小春の若々しさと美しさがいやが上にも輝きます。

今では想像も出来ないほど『家』や『身分』やその他のしがらみの多い
社会とその制度のなかで、弱い生身の人間が引き受けざるを得ない運命、
それは過酷に様々の人間関係を極限まで連れていったのでしょう。

 

小春が『おさん様ひとりの蔑しみ恨み妬みもさぞと…』と嘆き、
『この世でこそは添はずとも今度の今度のずつと今度のその先まで夫婦』
と願う哀れさは、その義太夫の詞の巧みさと大勢の太夫と三味線によって、
心の芯まで沁みてゆきました。

最後に、小春がおさんの心を思いやって『せめて二人の死顔を並べず
死にたい』とのぞみ、治兵衛はその意を汲んで、小春を刺し、
自分はその背後の樋に小春の紅の“しごき”を掛けて自ら縊れ死んだのです。
その時の紅の“しごき”の鮮やかなこと!しばらくは瞼裏に残って、
席を立つ事ができませんでした。

 

 

 

|

お初天神(三)

 

 

碑の「曽根崎心中・ゆかりの地」娘子ひそと掌をあはせをり
(いしぶみの「そねざきしんじゅう・ゆかりのち」おとめごひそとてをあわせおり)

                                           -同人誌掲載-

 

 

浄瑠璃の『曽根崎心中』の背景の季節は初夏なのですが、私には何故か、
この時雨が降る11月の終りの頃が自分の好きなイメージに合うように思うのです。
『あっ、あの影はもしかしてお初?』、時雨降るお初天神の辺りで、
傘を半開きにして前をよぎったあの姿はそんなことを思わせてしまいます。

 

由緒の碑めぐり清かにととのへて紅き椿はお初に相応ふ
(ゆかりのひめぐりさやかにととのえてあかきつばきはお初にふさう)

                                          -同人誌掲載-

 

ここに来たからといって何かが癒されるというわけでもなく、また
昔のひとに遇えるという希みがあるわけでもなく、暮れたばかりの境内の
しんとした冷たい空気、社務所が申し訳程度に照らしている灯りの中で、
街の喧騒が少し和らいで、時折りお参りする人たちの靴音が、
玉砂利の上に響くだけ、そんな曽根崎新地のはずれ、露天神社の穏やかな空間が、
今の私には一番やさしい場処のような気がするのです。

 

 

曽根崎のお初徳兵衛道行きの影がよぎるや灯る裏店
(そねざきのお初とくべえみちゆきのかげがよぎるやともるうらだな)

                                     -同人誌掲載-

 

 

お初天神(一):2008年11月09日掲載
お初天神(二):2008年11月19日掲載

 

 

 

|

«くれなゐ美しき