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2009年11月

文楽『心中天の網島』

 

 

 

現し世のすべてと訣れ道行きを共に行きます君の羨しも
(うつしよのすべてとわかれみちゆきをともにゆきます君のともしも)

                                                                               -同人誌掲載-

 

 

行ってきました、文楽『心中天網島』。大阪錦秋公演最終日です。
ガラガラで当日券は楽勝楽勝、と勝手に決め込んで、
家族旅行が中止になったので、23日の最終日の第2部を目当てに
出かけたのでした。

ところが、文楽劇場の中に入ると多数のひとがウロウロ、丁度、
第1部が終了したからだろうな、と暢気に窓口で友の会カードを出したら
『はい、これが最後の席ですヨ』と言われ、仰天してしまいました。

さすが錦秋文楽の最終日、ここ2年近くは色んなことがあって、
文楽へ出かけることがパッタリ止まっていたので、全く以って予想外、
こちらの感覚が止まってしまっていたのでした。
だから、最後の一枚と聞いてビックリしたと同時に、ああ良かった!と
安堵の吐息が出てしまいました。

けれど流石錦秋文楽の千秋楽、演し物も近松の世話物最高傑作とも
言われる『心中天の網島』、まして大人気の人間国宝住太夫や蓑助が演じる
舞台なので、会期中もきっと賑わっていたのだと思います(いえ、思いたいですネ)。

 

さて、第1幕は『北新地河庄の段』、大阪北新地の茶屋『河庄(かわしょう)』が
舞台の“切”を住太夫が語り始めると、
人形を操る師匠たちの素晴らしさと相俟って、もうすでに私の目は
うるうるとなり始めました。

19歳の薄幸の遊女小春、その恋の深さとそれゆえの絶望。
28歳のそろそろ分別も出てきておかしくない筈なのに愛欲の淵に溺れて、
身動きの取れない(身勝手な!)男の紙屋治兵衛。
その情けなくて出来の悪い弟が可愛くて仕方がない、男気あふれる
兄の孫右衛門。その三者がまさにそこに生きて、悩んで嘆いているように
見えるのです。そして、
人間の生身の肉体でないがゆえに、それぞれの登場人物のかかえる悩みや
問題が、より切実に純化されて胸に迫ってきました。

 

そして第2幕、場所は治兵衛が営む天満の紙屋の店舗兼居宅の紙を商う店
『紙治(かみじ)』の、店が見通せる部屋。
そこで治兵衛は、昼間から布団の中でうたた寝をしています。
うたた寝をしながら、先にキッパリ思い切った筈の遊女小春を思って
未練と後悔、そんな自分の情けなさへの自責の念もあってシクシク泣いています。

今回は、私(たち)の大好きな<蓑助さん>は小春を遣われました。
最後の段『道行き名残りの橋づくし』で大変美しい綺麗な道行きを
演じられたのですが、個人的感想としては、<蓑助さん>には
治兵衛の女房『おさん』を演じて欲しかったな、というのが正直な感想です。
以前に、その配役で大感激したことがあった記憶があるのです。

おさんは、実は、夫の治兵衛が入れあげている遊女小春へ、
治兵衛が大切と思うならば、どうぞ家庭へ返して欲しいと、
真心溢れる手紙を書き、その思いに応えて治兵衛を思い切ろうと
小春は決心して治兵衛と別れたのです。

 

第1幕では、その治兵衛の所業に心を痛めて何とかを諌めようと、
治兵衛の兄孫右衛門は、小春に直談判にきて、たかが遊女のこと、
別れるように説得できると思っていたのが、偶々おさんが書いた手紙を
見つけ、その手紙によっておさんへ義理立てをした小春の心の真実を
知ることになったのです。

その小春の健気さに引き比べ、治兵衛は、未練たらたらで、
小春の心変わりをなじり、殴る蹴るをし、小春をなお深い悲しみに
突き落としたのでしたが、そんなある日、治兵衛とおさんは、偶然、
小春の近況を耳にし、おさんは自分との約束を思い合わせ、
『小春さんは死ぬつもり』だと直感するのです。

一人の男を挟んで、立場の違いを超えて女性二人の情(こころ)が、
通い合うことになってしまいました。
そして相手を思いやればやるほど自分の思いを殺さなければならない、
そのジレンマを越えて、相手を救わなければ!と決心したとき、
容赦ない現実が、二人の女性の思いを引き裂いてしまうのでした。

第3幕はいよいよなす術がなくなった治兵衛と小春が心中の決心をし、
決行に向けて踏み出す、お茶屋が舞台の『大和屋の段』。
最後にすれ違う、治兵衛とその兄孫右衛門の兄弟愛も涙を誘う場面です。

第4幕の『道行き橋づくし』は中堅若手の太夫連がずらり並んでの舞台。
人形も、勘十郎の治兵衛と蓑助の小春、哀れで美しい心中場面です。
わけても小春の衣装は黒。そこに帯揚げと“しごき”の赤が鮮烈です。
19歳の小春の若々しさと美しさがいやが上にも輝きます。

今では想像も出来ないほど『家』や『身分』やその他のしがらみの多い
社会とその制度のなかで、弱い生身の人間が引き受けざるを得ない運命、
それは過酷に様々の人間関係を極限まで連れていったのでしょう。

 

小春が『おさん様ひとりの蔑しみ恨み妬みもさぞと…』と嘆き、
『この世でこそは添はずとも今度の今度のずつと今度のその先まで夫婦』
と願う哀れさは、その義太夫の詞の巧みさと大勢の太夫と三味線によって、
心の芯まで沁みてゆきました。

最後に、小春がおさんの心を思いやって『せめて二人の死顔を並べず
死にたい』とのぞみ、治兵衛はその意を汲んで、小春を刺し、
自分はその背後の樋に小春の紅の“しごき”を掛けて自ら縊れ死んだのです。
その時の紅の“しごき”の鮮やかなこと!しばらくは瞼裏に残って、
席を立つ事ができませんでした。

 

 

 

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お初天神(三)

 

 

碑の「曽根崎心中・ゆかりの地」娘子ひそと掌をあはせをり
(いしぶみの「そねざきしんじゅう・ゆかりのち」おとめごひそとてをあわせおり)

                                           -同人誌掲載-

 

 

浄瑠璃の『曽根崎心中』の背景の季節は初夏なのですが、私には何故か、
この時雨が降る11月の終りの頃が自分の好きなイメージに合うように思うのです。
『あっ、あの影はもしかしてお初?』、時雨降るお初天神の辺りで、
傘を半開きにして前をよぎったあの姿はそんなことを思わせてしまいます。

 

由緒の碑めぐり清かにととのへて紅き椿はお初に相応ふ
(ゆかりのひめぐりさやかにととのえてあかきつばきはお初にふさう)

                                          -同人誌掲載-

 

ここに来たからといって何かが癒されるというわけでもなく、また
昔のひとに遇えるという希みがあるわけでもなく、暮れたばかりの境内の
しんとした冷たい空気、社務所が申し訳程度に照らしている灯りの中で、
街の喧騒が少し和らいで、時折りお参りする人たちの靴音が、
玉砂利の上に響くだけ、そんな曽根崎新地のはずれ、露天神社の穏やかな空間が、
今の私には一番やさしい場処のような気がするのです。

 

 

曽根崎のお初徳兵衛道行きの影がよぎるや灯る裏店
(そねざきのお初とくべえみちゆきのかげがよぎるやともるうらだな)

                                     -同人誌掲載-

 

 

お初天神(一):2008年11月09日掲載
お初天神(二):2008年11月19日掲載

 

 

 

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くれなゐ美しき

 

 

 

野いばらのくれなゐ美しき実のなれり朽葉ふりしく山峡の道
(のいばらのくれないはしき実のなれりくちばふりしくやまかいのみち)

                                  -歌集『ガラスの靴』-

 

 

 

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紅葉能まで

 

 

 

墨色の大山門をくぐり抜け「紅葉能」までながき根来寺
(すみいろのだいさんもんをくぐりにぬけ「もみじのう」までながきねごろじ)

                                   -歌集『ガラスの靴』-

 

 

明日は和歌山の友人の母上のお見舞いに出かけます。
先日は父上が亡くなられたばかりですが、その葬儀の最中に足を捻挫した
かも知れない、と言っておられたのが、やはり骨折だったそうです。
一番辛い時に、その悲しみをわかち合える家族とはなれて、
大変な入院生活を送らなければならないなんて、何とお慰みしてよいか、
言葉がみつかりません。

この友人とは本当に長い付き合いなのですが、時間だけではなく、
中味も大変濃い付き合いをしてきたと思います。
上記の歌の舞台も、その友人が連れて行ってくれたものでした。

『紅葉能』と銘打った野外能で、この根来寺の紅葉を借景に
演能されたのでしたが、この『根来寺』というのは、
本当に和歌山らしい野趣とスケールの大きさが、
とても印象深いお寺でした。

うーん、と言って見あげるような大きな山門をくぐってから、
延々と歩いて行ったことを覚えています。
京都の洗練されたお寺群とは全然違う、どこか山岳宗教の匂いがするような、
また、所謂『根来衆』という荒くれた人々が力をもっていた土地に相応しい、
広大で威厳のある素晴らしいお寺でした。

『紅葉能』に感激したことは勿論ですが、それよりも、二人でとりとめない
話を延々としながらその境内を歩いたことが、思い出されます。
この友人といるときはいつもそうなのですが、姉妹といるような気楽さと、
彼女のキレ味のよい個性が光るその感性を感じながら、
あれやこれやの話を聞いているのが好きなのです。

そして、後から考えてみると、何がどうというのではないのだけれど、
何を話したかも思い出せないのだけれど、ただただ心地よいものだけが
心の真ん中にふわりと残っているのです。

そんな幸せな時間の記憶だけが、
何故かいつも壊れそうだった自分の心を支えて来てくれたのではないか、と
今更ながらに気付いている、
何時までも頼りなく気楽な自分がここにいるのです。

 

 

 

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鯉揚げ(京都・嵯峨野)

 

 

春の魚放たれ育つ時みちて冬の鯉揚げ待たれゐたりし
(はるのうおはなたれそだつときみちてふゆのこいあげまたれいたりし)

 

水底の泥の明るさ美しさ水鳥たてど閑かなりけり
(みなぞこのどろのあかるさうつくしさみずどりたてどしづかなりけり)

 

※『鯉揚げ』は北嵯峨の広沢池の冬の風物詩。
 池水を抜いて鯉や川蝦などを獲り、そこでそれらを商うという。
                                      -同人誌掲載-

 

 

昨年は、この<鯉揚げ>の話をしたいと思いながら果たせなかったのでしたが、
今年は、ご近所の方のブログに触発されて、ぜひここで紹介したいと、
キーボードの前に座っています。

上記の2首はこの鯉揚げを題材にしたものを、掲載してもらった
10首の内の2つですが、その日付を見て、
あれからもう5年も経ったことに、本当に愕然としてしまいました。
色んなことが大きく変わって、常ならぬことをしみじみと思わずにおれません。

その鯉揚げを知ったのは、嵯峨野にお住まいの先生が、この広沢の池をこよなく
愛しておられたこともあり、その鯉揚げの季節に、そののほとりにある料理屋で、
気心のしれた人たち者たちを数人、食事に招待して下さったからでした。
霜月の低い太陽がやや傾き始めた遅い午後から、その広沢の池の背景となっている
偏照寺山が宵闇に沈んでしまうまで、時間を忘れて遊んだのでした。

その茶屋はまさに広沢の池の上にあり、窓から下をのぞくと、真下は丁度、
池水を抜いたあとの湖底の美しい灰色の泥となっていました。
その目の前の明るい泥土の上に、大きな鷺が翼をたたみながら降りてくるのです。
その銀色のような泥と真っ白な翼とのコントラストの鮮やかさ!
目を転ずれば、目の前にぐるりと明るく美しい池の底が露出して光っています。

そして、そこには色んな川魚や蝦や貝や、ほかにも色んな生き物がいるらしく、
通常なら数羽しか見ない白鷺や青鷺、その他にも大きな鳥から小さいものまで、
沢山の鳥たちが泥を啄ばんでいるのです。

遠くで聞こえる水を抜いているポンプの絶え間ない音と、
時折り何かが近くで跳ねるらしいパシャッパシャッという音。。。
窓外の泥の上には先ほどの白鷺が歩いた足跡がまだくっきりと残っています。
ゆったりとした時間が、静かに流れていました。

きっとこの時間は、ここに長く住んで、この土地を大切に大切に思って、
護って来られた人々が紡いできた時間にちがいありません。
そう、まさに千年の人々の変わりない暮らしが、この静けさと穏やかな時間を
作り上げてきたのでしょう。

かつては、春になると、広沢の池の周りをぐるりと山桜の木が取り囲むように
咲き誇っていたとも聞きました。
残念ながらそれらの桜も、東側の数本を残して皆枯れてしまったそうです。

けれど、それでも尚、池水を抜いてしまったあとの一片のゴミすら見えない
泥土の美しさは、その時の楽しい集いと、偏照寺山の紅葉と相俟って、
それはそれは素晴らしい想い出を私たちに残してくれたのでした。

 

 

 

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木枯らしの

 

 

 

木枯らしの飛脚夜つぴて駆けてゆく木の葉言の葉朽ち葉文がら
(こがらしのひきゃくよっぴてかけてゆくこのはことのはくちばふみがら)

                                     -花影- 11巻1号

 

急に凄まじい風が吹いて気温がガクンと下がった一昨日、振返ってみると、
こんな風に急に天候が季節を越えることが最近多くなりました。
近いところでは、9月と10月。我家では金木犀も二度咲いたのでした。

9月、窓から何やら記憶にあるけど思い出せない甘い香り・・・
???これって、ひょっとして木犀?と思って庭に出てみると、案の定、
あの鮮やかなオレンジ入色の小花がほんの少し咲いていました。

確かキンモクセイはもう少し後なんじゃないかな、と思いながらも、
いつものエエ加減さで、そうか、もうそんな時季なんやね、と納得して
しまったのです。妹も『キンモクセイが咲いていたわよ』と一枝手折り、
一輪挿しに入れて飾っていました。

ところが10月になってまたあの甘い、ちょっとくどい位の香りに、
『???』とまた木犀の木のところへ行ってみると、前回よりも鮮やかに
沢山の花をつけていたのです。

以前は、軒先の木や花々にはもっと注意を払っていたのに、
この頃は家に籠もっていることが多く、その上、
以前のように近所の坂道を上り下りすることもなくなって、
色々なことを感じたり、考えたりすることもしなくなっていました。
そして、こんな風に、あの強烈な木犀の香りさえ気付かない暮らしを
している自分に気付き、愕然としてしまったのです。

 

この処、気持ちが落ち込んで、何もする気力がなく、かといって、
昔のようにダメな自分への自己嫌悪に苛まれることもなくなって、
自分の生命力さえへばってきているような気がしていましたが、
ようやく僅かですが、上向きなものが自分のなかに再起してきたようです。

時間、なのでしょうか?それとも周囲の優しさ、なのでしょうか?
多分、色々なことに助けられているのでしょう。
唯一自分で出来たことは、窓を少しだけ開けていたことだけですが。。。

亡くなられた先輩も、このブログを楽しみにして下さっていて、
『頑張って下さい』という言葉を残していって下さいました。
そして、あのグズグズとした気分は、昨日の木枯らしが
持って行ってくれたのかもしれません。
生きることはしんどいけれど、兎に角仕方が無い!
四の五の言わず頑張らなければいけないですね。

 

取り敢えず、今月は何としても錦秋文楽に行くぞっ!!と
自分を励ましている志都美です(^_^;)。

 

 

 

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まだ夢を

 

 

 

まだ夢を見るの生きるの秋風に白きうなじはうなだれてゐる
(まだ夢をみるのいきるのあきかぜにしろきうなじはうなだれている)

                                     -同人誌掲載-

 

 

長い間のご無沙汰でした。もう早や11月です。
9月から10月にかけて頭がキンキンになりそうな時間を過ごしました。
また身近なひとが亡くなりました。二人、です。
失う悲しみもさることながら、やはり『死』というものの遣りきれなさ、
理不尽さは、どうしようもありません。
色々の思いはありますが、『お願い!今しばらくは少し離れたところに
いってしまって下さい』というのが偽らざる心境です。

そんなこんなの疲れた身には、やはり、余り寒くならないこの季節が、
優しくて穏やかで・・・、大変有難いと思います。

そんな時、昨日は友人とランチをしたオープンカフェで、雀を見かけました。
それも本当に近くまでやってきて、テーブルの角にとまって小首をかしげ、
その姿のまあ、愛らしいことと言ったら、まるで人間を怖がらず、
眼を瞠るように見惚れていた私たちに、何かをおねだりするように近づき、
飛び跳ねてくれました。

最近は、我家辺りでは雀は滅多にお目にかかれません。何かのニュースでも、
『最近の日本では雀が激減している』とか聞いたことがありますが、
久しぶりに、その愛くるしい姿を身近にみることができ、何とも幸運な日
だったと思います。

最近の自分を顧みて、何だか色んなことに尖がって優しい笑顔を忘れて
いるように感じていたので、無心に生きるものの清々しさのようなものを
久々に眺められたように思いました。

ランチに誘ってくれた友人に感謝、です。

 

 

 

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