« 2009年12月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年1月

なめらかに

 

 

なめらかに堕ちてゆかむか白き鬼群れてはひくき歌を唄ひぬ
(なめらかにおちてゆかんかしろき鬼むれてはひくきうたをうたいぬ)

                                                                           -同人誌 合同歌集-

 

 

それにしても、月日の経つのは余りに早く、今年も1月の半ばを過ぎました。
そして、一昨日はあの阪神淡路大震災から15年ということで、
大きなセレモニーも挙行されていました。ところが、その数日前、
この12日(日本時間13日午前7時前)には、とんでもない大きな地震が
カリブ海の最貧国ハイチで起きてしまいました。
ハイチは人口約900万人で、すでに国連は30万人が家を失っていると
発表し、18日(日本)のニュースではすでに埋葬者7万人、刻々治安が
悪化しているとも報じています。

 

ハイチは、アメリカ大陸ではじめての黒人による共和国となり、
かつては西半球で最も豊かな植民地といわれていたが、現在では西半球で
最も貧しい国になっているとか。
度々の内乱による政情不安がこの結果を招いているのだと言います。

この地球上には多種多様の価値観がしのぎを削り、我こそは真実なり、
いや我々こそが最も価値のある存在だと、争っています。
そして、日本では今、政権交代を迎えて既得権益を有する者たちが、
その優位な立場を失わんとすることに恐怖を感じて、とげとげしく、最後の?
足掻きを繰り広げています。
政治の貧困が、その国民の生活をよくも悪くもするのだということを
ここ数日、繰り返し考えざるをえない日々となっているのです。

今、テレビや新聞の報道によって見える風景は、今までののんびりと
貪っていた『我が世の春』の者たちが、国の在り方が変わっていくなかで、
つい15年前の地震による惨劇やまだまだこれから起るであろう大地震や
災害の危険性を感じ、想像するナイーブさを失ったまま、
自分たちが手にしている既得権を護るべく必死の抵抗をしているように
思えてならないのです。

ハイチの地震だけでなく、過去を顧みれば、数々の内外の災害の被害は、
その国情に合わせて国民やその国土に大きな被害をもたらしました。
とんでもない数の人間の、平凡な暮らしや生命を奪い、今もまた
簒奪しつづけています。

他者の痛みに鈍感であったり、他者の思いを想像することができない者たちが
たまたま手に入れた既得権にしがみつくことは赦しがたいことだと思います。
もう政治などの難しいこととはオサラバ!と思っていましたが、
今日ばかりは、身体が熱くなるほどの怒りをもってこのモノローグを記して
います。

思えば、歌集『ガラスの靴』は、震災の前年に上梓したのですが、
昔の仲間がそれを祝ってくれた日の翌日が、その震災の日でした。
『このピンクの歌集が体育館での避難生活に大きな慰謝を与えてくれた』と
手紙をくれた友人がいたことも今更ながらに思い返しています。

 

 

 

|

とろとろと

 

 

とろとろと微睡みをれば尾鰭から凍りはじむる緋色の金魚
(とろとろとまどろみおればおびれからこおりはじむるひいろのきんぎょ)

                                  -同人誌 合同歌集-

 

寒いですね。半端じゃなく寒い。去年の“今冬の長期予報”によれば、
暖冬で、気温は平年並みか高め、となっていたようにおもうけれど、
なんと!こんな寒さは久しぶり、心も身体も強張ったままです。

街に出かけても、人は沢山いるのですが、余り買い物袋を見ないような
気がするのです。暖冬予報によって、はやばやと12月初めから
冬物衣料もバーゲンセールが始まったりしたのですが、
なかなか安売りをしても消費者の購買欲は刺激されなかったようです。

やっぱり、お金を使わないと景気はよくならないみたいですね。
でも、先行き不安ではお財布の紐はグッと引き絞られたまま。
到底、余分なものへ支出することはできません。
折角、政権交代もしたのに、新聞もテレビも悲観的な記事ばかりが満載。
少しでも読者に希望を抱かせてあげようというサービス精神はないのかな?

 

ああ~、湯たんぽ抱いてお布団引き被って冬籠りしているのが、
極楽ゴクラク・・・。そんな気持ちになってしまいますね。

 

 

 

|

命あらば

 

 

 

命あらば逢ふこともあらむわがゆゑにはたな思ひそ命だに經ば
(いのちあらばあうこともあらむわがゆえにはたなおもいそいのちだにへば)

                          萬葉集 第十五巻 狭野茅上娘子 作歌

 

友人との読書会は12月に巻第十三で終えましたが、今年は出来るだけ
速く終りまで通して読んでいきたいと思っていますので、テキストの
『保田與重郎著萬葉集名歌選釋』をこの休みに予習復習をしていました。
今まで以上に素敵な歌満載なので、いよいよ楽しくなってきています。

 

この『保田與重郎著萬葉集名歌選釋』の解説によると、この十五の巻は、
遣新羅使関係の歌と、この狭野茅上娘子(さぬのちがみのおとめ)
と中臣宅守(なかとみのやかもり)の贈答歌63首が掲載されているそうです。

この歌は、中臣宅守と狭野茅上娘子との恋愛は宅守の重婚が問題となって、
宅守が勅命により越前国に流されることになったときに宅守が娘子に送った
歌への返歌とされています。

【重婚】というけれど、この時代における【重婚】がなぜ遠流の敕命が
くだるほどの罪になったのか、まったく理解できないけれど、
当時の人の寿命の短さや交通の困難さ、再会の可能性の稀少さなどの事情は
想像するだに難しいと思うのです。
そうした背景の中で、この時の二人の心情はどんなものだったのでしょうか。
きっと現代の私たちには殆ど理解不能の心情だと思います。けれども、
そうした事情を抜きにしたとしても、この歌の切実さと美事な心構えが
生半の言葉を失わせ、読む者の魂をはげしく揺さぶるのでしょう。

『元気でいてくださいね。きっとまた会えますよ。命あってのモノダネよ』
などと軽々しく言ってしまう私たち。そんな現代に生きているから、
言葉も生命も悲しくなるほど軽いのかもしれませんね。

このときの中臣宅守の贈った歌は、また、この娘子の激しい戀をしっかと
受け止めた男性にふさわしい骨太で真摯な心のあふれる歌でした。

 

天地の神なきものにあらばこそ吾が思ふ妹に逢はず死にせめ
(あめつちのかみなきものにあらばこそあがもういもにあわずしにせめ)

                            萬葉集 第十五巻 中臣宅守 作歌

 

天神地祇(あまつかみ・くにつかみ)がいらっしゃらないならば、
貴女に逢えずに死ぬということもあるでしょうが、天地の神が必ずおいでに
なるのだから、逢わないで死ぬということは決してありません。
そう言って中臣宅守は娘子と別れを告げたということです。

 

 

 

|

« 2009年12月 | トップページ | 2010年3月 »