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2010年6月

あぢさゐの

あぢさゐの藍ふかまりてかたらへぬ君が悲しみはかりかねつつ
(あじさいのあいふかまりてかたらえぬ君がかなしみはかりかねつつ)

                                  歌集『ガラスの靴』より

 

 

歌集『ガラスの靴』を上梓したのは平成6年の春、それからでも17年
足らずの時間が経過しています。そして、歌集にはそれまでに作った歌が
掲載されていて、平成5年のものもあれば、昭和の最後の年に作ったものも
含まれているわけです。そして、こうして改めて上記の歌を見ると、やはり、
今から20年近く若い私がいることに気付きます。

『歳をとってから始めた歌は年齢よりも比較的若々しい』と先生が仰った
ことがありますが、その例に漏れず、私の歌も年齢よりははるかに若いと
今も思うのですが、こうして現在のものを思いながら振り返ると、
どこがどうと的確にはいえないけれど、調べも、また歌の世界も若くて、
まだまだ未熟の裏返しであるかも知れない、甘い切なさのようなものを
感じるのです。

この歌集の場合、『君』といっても恋人とは限らず、母や友人や、或いは
亡くなった父への思いだったりもすることも多いのですが、
そうしたこととは関係なく、やはり、今の自分より確実に15年以上若い
自分がこの歌の中にいる、と思います。

短歌は、他のジャンルと違って私的な世界を表現するのに非常に適している
ようで、自分にしかわからない“否(ノン)”とか“諾(ウィ)”等の
微妙な世界さえも、何らかの言葉や調べにして悦に入ることができるのです。

けれど、例えば小説などは、作品の内容すべてが作者の実体験と思う人は極々
少なく、逆に、限りなくフィクションに近い内容だとしても、
それは作者の実体験や思いであり、その心情の吐露として受け取られるのが
短歌というものの特色でもあるようです。

そのことを大先輩に尋ねたことがありますが、その先輩の答えは、
『・・・歌には調べがあるからじゃないか・・・』というものでした。
尊敬する先輩の言です。まだストンと胸に落ちているわけではないのですが、
ゆっくりじっくりその言葉の意味を探っていきたいと思っています。

 

 

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ゆりまつり 2

はね蘰今する妹をうら若みいざ率川の音の清けさ
(はねかずらいまするいもをうらわかみいざいざかわのおとのさやけさ)

                                  -萬葉集 第七巻 -

 

昨日、行ってまいりました。率川神社の『三枝祭=ゆりまつり』。
毎年行きたい行きたいと思いつつ、何やかやに取り紛れて、前回から、
7~8年経ってしまったでしょうか。。。

今年は本宮当日は行けないので、いつも読書会をしている友を誘って
前日=16日に出かけることにしました。前日は百合祭のメインの捧げ物、
笹百合が、大神(三輪)神社から届く日です。

本宮に行けない代わりに、自分も近くまで笹百合を迎えに行きたいと、
⇒JR奈良駅⇒JR桜井駅⇒へ出かけました。前日の大雨で当のまほろば線
は電車の遅延が報告されて、どうなることかと心配したのですが、
10:37の桜井発奈良行きの電車は時間通りに発車、笹百合の籠をもった
行列も無事JR三輪駅から乗り込んで来ました。

笹百合の籠を大切に護りつつ電車に乗り込んで来られた「大神神社豊年講」の
方々は、三輪山の笹百合育成に尽力する篤農家の皆さんで、平成19年=2007
より始まった「ささゆり奉献神事」のために、毎年例祭の前日に大切に運んで
来られるのだそうです。

 

実は、約7年前にこの三枝祭を見物に出かけた日は、6月半ばなので、大変
乾いた天候の頃でした。そのせいか、境内は街の中心というロケーションの
こともあり、緑も少なく、狭い境内がカラカラに乾いていて、笹百合の殆どは
造花で、その笹百合の蘰を着けて踊る巫女さんも大変な老女、何だか草臥れて
その後暫くはお祭へ出かけることもしませんでした。

そんな不遜な私でしたが、久しぶりに訪れたこの三枝祭、このお祭を大切に
思う人々の力で、徐々に『ゆりまつり』らしい雰囲気を取り戻しつつあることに
大変感激しました。

率川神社は、奈良市の中心街にあって、子守神社としも有名ですが、
場処柄、かなり離れた大神神社の摂末社であるとは気付きにくいかも知れません。
単なる観光でこの神社を通り過ぎていくと、その由来が、大変奥深いもの
であることに気付くのは難しいでしょう。

けれど、笹百合を運ぶ人たちの表情は、皆、晴れやかで良いお顔をされていて、
何だかこちらも嬉しくなってきました。そして、こうした人々の努力に
支えられて、私たちにとっても非常に大切なお祭が身近に復活してくるのは、
何よりも有難いこと、心から感謝申し上げたいと思います。

 

・・・・・以下は、このブログを始めた頃にUPしていた『百合まつり』の
文章です。バックナンバーの2008年6月17日掲載

 

<ゆりまつり>

葦原の  醜けき小屋に 菅疊 彌清敷きて 朕が二人寝し
(あしはらのしこけきおやにすがたたみいやさかしきてわがふたりねし) 

                     -古事記 神武天皇御歌-

 

 

率川神社(子守明神)由来 
 御例祭 六月十七日午前十時 三枝祭(ゆりまつり)
 御祭神 玉 櫛 姫 命  右殿(御母神)
       媛(ひめ)蹈鞴(たたら)五十鈴姫命 中央(御子神)
       狭 井 大 神  左殿(御父神)

 

 『当神社は 推古天皇元年(五九三年)に大神君白堤がお祀り申上げた、
 奈良市に於ける最古の神社であります。

 三枝祭とは白酒、黒酒の酒樽に本社三輪山でとれた笹百合の花(古名
 :さいくさ)を飾ってお祭りするところから起こった名前。
 文武天皇 大宝年間(701年)から伝わる古式の神事で お供えの百合
 の花は疫病除けとして参拝者きそって乞い受けるものであります。
 尚当社は古来(子守明神さん)安産・育児の神として篤い信仰をあつめて
 おります。
                   「率川神社境内由来書より抜粋」』

 

 《ゆりまつり》のお宮への道は呆気ないほど簡単でした。JR奈良駅より
三条通を東へ5分観光センターを右折してすぐ、奈良市街地の車の往来の
激しい通りに面していました。 ちょっと意外でしたがそのことが却って古く
から土地の人々の篤い信仰に護られてきたお社であるということがわか
ります。

 境内由来書(上掲)にあるように親子神が三体祀られていて、小さな家族
写真を見るような懐かしさを覚えますが この率川神社の三枝祭(別名ゆり
まつり)をもう少し詳しく表すと「率川坐大神御子神社=いさかわにいます
おおみわのみこの神社の三枝祭」となり、この神社が三輪の大神神社の
末社であることから考えてすでに神話と古代史の混沌とした世界の入口
に立っていることがわかります。

媛蹈鞴五十鈴姫は別名=比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけ
よりひめ)といわれ神武天皇の皇后さまでもありました。
頭書の御歌は神武天皇が橿原宮において初代天皇として即位されたとき
に詠われた喜びの歌であるといい「貴女と逢ったあの葦の茂る川辺のごつ
ごつした建て方の家で清々しい菅の畳を幾重にも重ねて貴女と私は共寝
をしたのでしたね」という程の意味でしょうか。

しかしそれが古事記にも残るほどの重要な歌であり、初代天皇である神武
天皇がそれほどに気遣いをしたわけは多分妻五十鈴姫の父・舅「狭井大神」
即ち大和國一の宮「大神神社」の祭神である「大物主」にあったのでしょう。

その「大物主」はスケールの大きい男性であったと見えて古今に様々の恋
のエピソードもあり、また無類のお酒好きの方であったらしく、万葉集に
おいても「三輪」の枕詞は「味酒(うまさけ)」であり、今でもお酒の神様
として全国の酒造メーカーから樽酒などのお供えが絶えないそうです。

その縁として三枝祭りの神事も笹百合で飾られた樽酒(罇(そん)と呼ばれる
樽の上には黒酒=濁酒:・缶(ほとぎ)と呼ばれる三本足の台の上には白酒
=清酒)をお供えするのですが、その笹百合も昨今は造花や三輪山のバイオ
の笹百合も用いられるとのこと、少々淋しいお話です。

三輪山は静かなたたずまいの大神神社のご神体です。その山上高原地帯
には太古八千・九千年前の遺品が埋まっているとも言われているそうですが、
「大物主」とその一族が住んでいたのがその三輪山麓「狭井川」のほとりで
あり、河原には「佐偉=サイ(百合の古名)」が沢山咲いていたといいます。

つまり百合の咲き乱れる川の辺に住む偉大な勢力者「大物主」の百合のよう
に美しいお姫さまがこのお祭りの真のヒロインなのです。
神武天皇は美しい五十鈴姫との婚姻により得たその古く強大な一族の力を
背景に大和國をその支配下に治めていったのではないでしょうか。

そしてその《サイ》はサキと音が似通っていることから、いつしか他の三枝
(サイクサ=先が三つに分かれる草)の仲間として呼ばれるようになり、
サイクサ又は「サキクサ」は「幸(さき)く」を導く語として使われている
うちに枕詞として重要なことばとなったと考えられます。

 

・・・・・以上引用終り。

 

 

 

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道の長道を繰り畳み

 

君が行く道の長道を繰り畳み焼き滅ぼさむ天の火もがも
(きみがゆくみちのながてをくりたたみやきほろぼさむあめの火もがも)

                                                    -萬葉集 第十五巻 狭野茅上娘子 作歌-

君我由久 道乃奈我氐乎 久里多多禰 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母
(きみがゆくみちのながてをくりたたねやきほろぼさむあめのひもがも)

 

 

一昨日、久しぶりに友人との読書会でした。ほぼ2年近くも続けて
ようやく十五の巻、この中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子
(さぬのちがみのをとめ)との相聞歌のところまでやって来ました。
細々と、本当に細々としかやってこなかったなあ、と鈍い歩みに少し苦い
後悔が混じった感慨をおぼえているところです。

 

季節も今冬からの天候不順で、我が体調もややこしい状態がつづき、
春らしい春も、あったか無かったかのように過ぎて、ようやく6月も初旬、
日差しも初夏にふさわしい強さを見せて来たようで、何となく、
心も身体も元気を取り戻してきたように思います。

そして、二人の読書会も、ほんの少し、それぞれの変化の兆しに重ねて、
僅かばかり視野を広げ、萬葉集の所縁の場処をたずねたり、
保田與重郎文庫の他の著作も参考書として取り入れて、楽しみを増やして
いこうか、という話をしています。

 

上記の歌は、萬葉集の中でも大変有名な歌であり、テキストの
『萬葉集名歌選釈』の中では『・・・激しい熱情といふ以上に神話の
発想の域にいたつた傑作である。・・・』として絶賛されています。

ただ、私はこの歌の<道の長道を繰り畳み>を繰り返し読んでいると、
古事記のなかで、黄泉の国から逃れるイザナキを、恐ろしい形相の
イザナミが追いかけてくる場面を思い出してしまうのは何故でしょうか?
それはきっと、人の【思い】が持っているエネルギーの強さが、
現代におけるそれとは比較できないほどのもので、それがこの歌と
古事記の物語とが共通しているからかもしれません。

それゆえ、この歌の発想の素晴らしさと、エネルギーの集中度は
読む者の心を鷲掴みにするようです。

 

ちなみに、テキストでは<道の長道を繰り畳み>となっていますが、
別のテキストでは<道乃奈我氐乎 久里多多禰(ね)>となっていて、私の
個人的好みでは、後者の<くりたたね>のほうが良いように思っています。

 

 

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