道の長道を繰り畳み
君が行く道の長道を繰り畳み焼き滅ぼさむ天の火もがも
(きみがゆくみちのながてをくりたたみやきほろぼさむあめの火もがも)
-萬葉集 第十五巻 狭野茅上娘子 作歌-
君我由久 道乃奈我氐乎 久里多多禰 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母
(きみがゆくみちのながてをくりたたねやきほろぼさむあめのひもがも)
一昨日、久しぶりに友人との読書会でした。ほぼ2年近くも続けて
ようやく十五の巻、この中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子
(さぬのちがみのをとめ)との相聞歌のところまでやって来ました。
細々と、本当に細々としかやってこなかったなあ、と鈍い歩みに少し苦い
後悔が混じった感慨をおぼえているところです。
季節も今冬からの天候不順で、我が体調もややこしい状態がつづき、
春らしい春も、あったか無かったかのように過ぎて、ようやく6月も初旬、
日差しも初夏にふさわしい強さを見せて来たようで、何となく、
心も身体も元気を取り戻してきたように思います。
そして、二人の読書会も、ほんの少し、それぞれの変化の兆しに重ねて、
僅かばかり視野を広げ、萬葉集の所縁の場処をたずねたり、
保田與重郎文庫の他の著作も参考書として取り入れて、楽しみを増やして
いこうか、という話をしています。
上記の歌は、萬葉集の中でも大変有名な歌であり、テキストの
『萬葉集名歌選釈』の中では『・・・激しい熱情といふ以上に神話の
発想の域にいたつた傑作である。・・・』として絶賛されています。
ただ、私はこの歌の<道の長道を繰り畳み>を繰り返し読んでいると、
古事記のなかで、黄泉の国から逃れるイザナキを、恐ろしい形相の
イザナミが追いかけてくる場面を思い出してしまうのは何故でしょうか?
それはきっと、人の【思い】が持っているエネルギーの強さが、
現代におけるそれとは比較できないほどのもので、それがこの歌と
古事記の物語とが共通しているからかもしれません。
それゆえ、この歌の発想の素晴らしさと、エネルギーの集中度は
読む者の心を鷲掴みにするようです。
ちなみに、テキストでは<道の長道を繰り畳み>となっていますが、
別のテキストでは<道乃奈我氐乎 久里多多禰(ね)>となっていて、私の
個人的好みでは、後者の<くりたたね>のほうが良いように思っています。
| 固定リンク


最近のコメント