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2011年4月

桑の實

 

 

雨あとに光るルビーか桑の實を見すべき君の帰り来まさね
(あめあとにひかるかルビーかくわのみをみすべききみよかえりきまさね)

                                       うた・志都美

 

2月に昨年秋に亡くなった友人の【偲ぶ会】をクラス会の仲間とやって、
その後、体調が優れずいたところへ東北・北関東の大震災と大津波が起り、
その上福島の原発が壊れて、今では“レベル7”と発表されるに到り、又
当該原発の近くで余震が頻繁に起っている、という目まぐるしく又胸苦しい
今年の冬と春。

亡くなった友人だけがこのブログの固定読者だっただけに、彼女への思い
を何かかたちにして綴りたいと思いつつ、ネットにテレビにとニュースを
追いかけ、胸を詰まらせたり怒ったりを繰り返しているのですが、今日は
そんな自分を少し反省して、上記の桑の実の歌と下記の2種の歌のお話を
したいと思います。

 

 

始春の初子の今日の玉ばはき手にとるからにゆらく玉の緒
(はつはるのはつねのきょうのたまぼうきてにとるからにゆらぐたまのお)

                          萬葉集 巻二十 大伴家持 作歌

 

この歌は萬葉集のなかで(と言ってもすべての中で、という意味ではあり
ません。あくまで二人でやっていた読書会のテキスト『萬葉集名歌選釈』
に掲載されている歌の中で、ということですが・・・)最も大好きな歌と
言えます。

全てが清々しくて明るくて、美しく華やかで繊細なものに満ちていて、
家持の歌の中でも一番気持ちよく輝いているような気がするのです。
その華やかな『玉箒』、その玉箒にゆかりを持つ植物が『高野ぼうき』で
あり、その『高野ぼうき』が萬葉集を学び始めた頃の私が、我家の近くで
見つけた植物でした。

ゴルフ打ちっ放し場の裏の林の中で見つけた小さな花。素朴な菊を小さく
小さくしたような、ほんのりピンクがかった白い花ですが、この植物の茎
が箒に適していて、古くから使われていたそうです。その植物が高野山に
多く自生していて、それを高野山の辺りで箒にしたのが広まったとのこと
です。

その『高野ぼうき』を見つけたあと少し調べると、家持の歌の『玉ばはき
=玉箒』が何故朝廷のお正月の宴の引き出物になったのか、というと、
遠い古代中国の皇帝の正月行事に、皇帝は鍬によって田を耕すという神事
をし、皇后は蚕部屋を箒で掃くという神事を大切なセレモニーとしていたと
いうことがわかりました。

お蚕、そうですね。桑の木なんです。皇居では、その皇后の神事のために
桑の木がちゃんと植えられているそうです。
テレビの皇室番組で、天皇皇后お二人がお庭を散歩しながら、皇后さまが
陛下に、雨後の桑の木の美しさを語られているのを聞いたときは、まさに、
わが意を得たり!と一人で小躍りしました。

桑の木は我家の近くの小高い丘にある墓地に大きな木がありました。毎年
その墓地の下の舗道に大きな濃紫の実を沢山沢山落としていました。その
落ちた黒い実を持ち返り、土に埋めると小さな芽がいっぱい出て、やがて
その殆どはナメクジに食べられてしまいましたが、幾つかの芽が生き残った
と見えて、段々と大きくなり、今ではそれなりに多くの実を付けるように
なりました。

我家のその実はルビーのように赤くなって、赤黒くなっていくのですが、
その実はまだ本当に小さくて、小鳥たちが啄ばみ忘れたものだけがようやく
完熟するのですが、小さすぎて、黒くなったらそのまま乾いていつのまにか
どこに消えたのかわからなくなってしまいます。
墓地の桑の大木は、その大きな実が大量に舗道に落ちるので、「汚い」とか
「滑る」とか「危ない」とかの理由でばっさりと短く刈られてしまいました。
勿体ないことです。

その実を食べるために、普通は喧嘩ばかりをしているカラスやヒヨドリ、
その他の小さな鳥たちも、その実を咥えながら道路を渡ったり、同じ木の枝
で夢中になって実を啄ばんでいる姿も微笑ましいものでしたが、そんなこと
はまるで顧みられることなく、バッサリとは残念なことでした。

以前、桑の小さな苗を友人にプレゼントしたのですが、今年の赤いルビーの
ような実がつくのを見ないまま、昨年急逝したのが何とも残念でなりません。
彼女の家のベランダで、今小さな桑の木はどうしているのでしょうか・・・。

 

 

かの歌のゆかりの花を見せばやと約せし道を今日ひとり行く
(かのうたのゆかりのはなをみせばやとやくせしみちをきょうひとりゆく)
                                          うた・志都美

 

 

 

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横超断四流

横超断四流(おうちょうだんしりゅう)

 

先日、3月の歌会に出かけました。歌会当日は会場のお座敷の床の間に、
保田與重郎の書、『横超断四流』の大きなお軸が掛けられていました。
『横超断四流』、これは以前何かの本で読んだのですが、仏教の用語とかで、
<自力の計らいを捨てて他力=御仏の誓いに帰依することにより、
(階段を昇るようにではなく)一気に悟りへと達することができる>という
意味だそうです。大変感覚的に、ですが好きな言葉です。

それにしても、あの地震と津波の日から心が晴れません。いえ、それは当り前
のことで、晴れるほうがおかしいのでしょう。
はるか離れた東北の地の災害だし、何も出来ないのに悩んでみても仕方ない
ではないか、とはとても考えられません。それほどの、かつてない大きな規模
で日本の一部がガサッと掻き獲られてしまったのですから。
同胞(はらから)としては、わが身が抉られたような気持ちなのは当然ですし、
諸外国からさえもすぐに多数の励ましや支援、援助の手が差し伸べられました。
同じ人間として、看過できない痛みを共有して下さったのです。

今回の大災害を考えるとき、また、被災されてその渦中におられる方々の
心中を慮るとき、悲しみで胸がいっぱいになってしまいます。そして同時に、
様々な『なぜ?』が心に押し寄せてきます。 この度の巨大地震と大津波のよう
な情け容赦のない自然に薙倒されたあとには、どのような【言葉】が明日への
希望につなげることができるのでしょうか? 
余りの厳しい現実に、生半可な慰めや励ましなどは無論弾き飛ばされてしまいます。
様々な場面で発せられるこの『なぜ?』には、私たちの先達が、同じように
悩み苦しんだのちに得ることができた深い言葉だけが力をもつのでしょう。

 

今回、その『横超断四流』の書に加えて嬉しかったことは、信頼するサイトが、
地震直後に大切な言葉を発信してくれていたことでした。
そのサイト上で、ある思想家の講演記録を公開してくれていて、その人が旧約
聖書の『ヨブ記』について話してくれているのです。
この最も救いのない奈落へ突き落とされた人たちへのメッセージとして、又
その方々への思いをどのように考えたらよいか、またどう行動するかを悩む者
への示唆として、素晴らしくタイムリーでした。

家族も親戚もご近所も、友人も仲間も、家も仕事も財産も、故郷の風景さえも
一瞬にして目の前から消え去り、ありとあらゆるものがすべてを失い、傷つき、
生きることの意味さえ問うて来るでしょう。その問いに誰が答えることができる
のでしょうか?またどんな答えがあるのでしょうか?

けれど、人間の歴史が始まって以来、幾たびも起ったであろうこうした試練・・・、
その度に私たちの祖先は自らの希望と道をみつけ、また歩き出し、此処まで
やってきたのだと思います。

だから、如何なる時も人の心に寄り添いかつ見捨てず長い歴史を過ごしてきた
【言葉】もある筈。単なる慰めでなく、より深いところで語ってくれている筈です。
そしてまた、現在の日本の思想家たちだけでなく、古今東西の先人たちが、
今回も、心の底から勇気付ける言葉を発してくれているのだろうと思っています。

 

 

「激甚」と冠して足らぬ地震津波人間の愚かさ加はりてなほ
(「げきじん」とかんしてたらぬないつなみひとのおろかさくわわりてなお)
                                    うた・志都美

 

 

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